プロ野球はキャンプが終わり、オープン戦による調整の最終段階に突入した。プロ野球の歴史は古く、1934年に大日本東京野球倶楽部として現在の読売ジャイアンツ(以下巨人)が誕生した後、1936年に現在の形のペナントレースがスタートした。日本最古のプロスポーツが戦後日本の復興に多くの感動と勇気を与えたことは言うまでもない。
今号では、私が愛する巨人を中心に、まもなく開幕を迎えるプロ野球について述べていきたい。
かつてのプロ野球は巨人を中心に回っていたことは、古くからの野球ファンであればご存知であろう。今でこそ地域に密着した球団が出てきたが、かつてのプロ野球は地域密着とは程遠く、テレビ中継とラジオ中継を中心とした、「空中戦」によるスポーツ観戦により成立するビジネスであった。インターネットもスマートフォンもなく、テレビが娯楽の中心であった頃、巨人戦はゴールデンタイム(19時~22時)に放送をされて、高視聴率を獲得できるため1試合で1億円以上稼ぐ「ドル箱コンテンツ」として、とても高い価値があった。しかし、メディアの多様化やJリーグの誕生等、変革の時代を迎えて、巨人戦の視聴率や放映数は減少の一途を辿っていった。
図1 巨人戦ナイター中継放映本数と視聴率
図1から解るように、2000年代前半はほぼ全試合生中継されてきたが、以降放映本数、視聴率共に減少する。2018年はナイター放映数9本、平均視聴率7.4%と今やゴールデンタイムでは放送することができないコンテンツとなった。
巨人戦のナイター放映数減少の分岐点としては、2006年に前年より2割減の106試合、2007年は前年より3割減の74試合となり、その後、減少の坂道は止まらない。この時期に何があったかと省みると、2004年にプロ野球再編問題があり、史上初のストライキが行われプロ野球ファンを失望させた出来事が起きている。巨人と同じ東京ドームを拠点にしていた日本ハムファイターズが2004年シーズンから北海道に移転した。ソフトバンクが当時のダイエーホークスを買収して福岡ソフトバンクホークスとなったのは、2005年シーズンから。新規参入チーム東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生したのも2005年と、この時期がプロ野球の過渡期であったことが推察できる。
図2 プロ野球平均観客数
平均観客数に目を移すと、2005年に観客数が落ち込んでいるが、これはこの年から実数を発表することとなったためである。それまでは、いわゆる『どんぶり勘定』で発表していた。例えば、東京ドームで言えば、毎試合55,000人と発表されていた時代が過去にはあったが、Jリーグが実数を発表していた中で、プロ野球も追随したのである。
その後、観客動員数は緩やかだが上昇している。プロ野球界にとって、地域密着や地域貢献というキーワードは以前には存在しなかったが、北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス等を筆頭にJリーグさながらに地域に根差したチーム作りを始めている。セ・リーグの広島東洋カープは、唯一の親会社を持たない市民球団であるが、広島県民に愛されるばかりか、全国に飛び火して、ビジターの試合に広島ファンが外野席を占拠する現象まで起きている。
巨人を中心としたプロ野球ビジネスの仕組みが完全に崩壊をして、今やメディアによる空中戦でファンを獲得していた巨人軍は、根差す地域はなく、メディア露出も少なく、球場へ足を運ぶファンが減り、空席が目立つ試合も増えてきている。発表でこそ、法人の年間シートで売り上げが立っていることもあって満員御礼である場合も、東京ドームのチケットが入手困難ということはあまりない。一方、広島東洋カープや横浜DeNAベイスターズは、地域密着をすることでファンが増大し、チケット入手困難になるまでの球団へ成長している。
現状ではプロスポーツとして最も市場の大きいプロ野球が、この先の時代にどのような成長戦略を考えているのか。野球離れや野球人口減少と言われている中でプロ野球はどこへ向かうのか。日本人が大好きなプロ野球は、そして巨人軍は「永遠に不滅」なのか。次回、より斬り込んでいく。
著者プロフィール
佐々木 達也(東京都出身)
・城西大学 経営学部 准教授 スポーツマーケティング・マネジメント分野領域を専門とする。
・早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。早稲田大学スポーツ科学研究科修了。
・大手総合広告代理店にてスポーツに関する業務に携わり、Jリーグクラブ勤務後、金沢星稜大学人間科学部スポーツ学科講師を経て現職。現在もJ2ツエーゲン金沢シニアアドバイザーを務める。